スポック艦長のPhoto Diary

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2010年 08月 09日

Summer Passion

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友人が北千里で阿波踊りを踊ると言う事で
写友大挙して撮影に参上
伊丹を本拠とする「深雪連」

関西にも沢山の阿波踊りファンが
連を作って練習している
今回はエキジビションだが
本場からも有名連が来阪しての
阿波踊り大会だった

地元を離れて生活している人の
身体の中には阿波の血が流れている
徳島を離れてもやはり阿波踊りを踊りたいと
連をつくりシーズンには連を引き連れて地元に帰り
地元の有名連に混じって
真夏の情熱で火のように燃え尽きて
やっと阿波の人たちの夏は終わるのである

そんな情熱を目の当たりにして
撮り手側も必死のパッチ
踊り手やお囃子連に負けじと
忘我の境地で撮りまくる
家に戻りパソコンに落として眺めながら
やっと真夏の情熱から開放されて
今日一日を振り返りながら床に就いた




****スポックのありふれた日常****

今年も8月9日が来た
私が長崎で被爆した日だ
もう何回もこの日を過ごしてきたが
忘れる事の出来ない日だ

父は徴兵で戦地へ
母は留守の家計の為に仕事に出かけていた
私の守は母方の祖母が実家から来てくれていた
だから私は祖母と二人家で被爆した

母は市内の百貨店の地下食道で働いていたので
爆心地に近かったが奇跡的に助かった
母は家に残した私と祖母を気遣って
焼け野原の瓦礫の山を必死の思いで帰宅した
途中の景色はまさに生き地獄だと後で聞かされた
全身大やけどで皮膚の無い身体で水を求めていたそうだ
そして水を求めて川にたどり着き
水を飲んで絶命し川は死体が無数に浮かんでいたと・・

私の家は爆心地から3.2kmの距離だった
爆風が家を直撃して
弱いガラス部分を突き破って家に入ってきた
ガラスは粉々に割れてまるで手裏剣のように
中にいる二人にバラバラと突き刺さった

家具も家の中を転がるように吹き飛ばし
逃げ場の無い爆風は天井を突き破って
屋根をごっそり剥ぎ取って吹き飛ばしてしまった
小さい私は当時の記憶は残っていないが
部屋の中から青空が見えたことは不思議な記憶として
今でも残っている

直ぐに近所の防空壕へ祖母と二人で逃げ込んだが
祖母は私の身体にハリネズミのように無数に突き刺さった
ガラスの破片を一本一本抜いてくれたそうだ
そこへ母も無事たどり着いてお互いの無事を泣いて喜んだ

大変重い話になりましたが
一度はお話しておきたかった
戦争とは愚かな事
原子爆弾は一般市民をも無差別に殺戮し
その放射能の影響は遺伝子を壊し子孫にまで影響する
核廃絶は私たちヒバクシャの願いです

今世界では日本人は被害者意識が強すぎる
日本軍も中国その他で虐殺などをしたではないかと言う
私たちはアメリカに文句言っているのではなく
核を持つこと使用することを絶対止めようと言っているのです

マッカーサー元帥は大統領の質問に
「日本はもう直ぐ堕ちます。核の使用は不必要です」
と進言したそうです
でもロシアの参戦でアメリカも焦り
又莫大な開発費用の責任問題もあり
アメリカが日本を降伏させたと言う
実績を作りたかったために
核兵器を使用したとアメリカ側の文書に書かれているそうです

アメリカ政府の核兵器の使用の口実を
「これで沢山のアメリカ兵の命を救った」と表明
多くのアメリカ人はそれを信じています
でも何倍もの一般市民が犠牲になりました
もう2度と核兵器が使用される事が無いように祈りたい

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by captain_spoc | 2010-08-09 17:55 | スナップ | Comments(8)
Commented by myumyu at 2010-08-09 21:54 x
10ヶ月程ですが広島に住み、その間に8月を迎えた経験があります。
娘の幼稚園では登園日になっていましたので、夕方になってから娘と2人で記念公園に向かい、手を合わせました。市電の窓から多くの方々がお墓にお参りに向かう姿を見て、「ああ、記念日なんてそんなものじゃない。多くの方にとっての命日なんだ。」と恥ずかしながらその時初めて実感したのです。これまでの自分の認識がどれほど甘かったのかとショックを受けた事は今でも忘れられません。短い間でしたが、広島の地に住んだ人間として、子に孫に核兵器の恐ろしさを伝えていけたらと思っています。

今年お亡くなりになった長崎の被爆者の方がVTRで
「あなた方にバトンを託しますから、これからもバトンをつなげていって欲しい」と仰っていました
艦長さんにも貴重な体験を書いて頂いて有難く思います。思い出すのはさぞお辛いことでしょうに。。。
私もバトンを受け取り次世代へつなげられる様、これからも親子で平和について考えて行きたいと思います。
Commented by kaznoda at 2010-08-09 23:49
戦争の記憶も無く又語ってくれる人もいませんでした
体験した人々や痛みを負って生きてきた人の思いには到底たどり着くことが出来ないでしょう
私にとって8月は引け目を感じて過ごす月です

阿波踊りの写真は目からウロコの画像です
色んな技術、切り口があるんだなぁ、と驚きいってます
Commented by スポック艦長 at 2010-08-10 09:54 x
☆myumyuさんおはよう御座います^^
たった一度の8月6日を現地で経験されただけで
お子さんもご自身も行動に移されたことはご立派な事です
それは小さな力のようですがきっと大きな波になる力です

私たち被害者の会も戦争反対、核兵器廃絶を目標に
その日が来るまで運動を続けます
Commented by スポック艦長 at 2010-08-10 10:00 x
☆kaznodaさんおはよう御座います^^
引け目を感じることは無いですよ・・
神戸の震災も被爆も本当に生と死は紙一重
これはその人が持っている運なのかもしれません
自分でどうすることも出来ないのですから
でも戦争は未然に防げることですからこれは無くしたいですね

写真は設定間違いでとんでもない露出になりました
面白い画になりましたので採用いたしました^^ゞ
Commented by nextday55 at 2010-08-10 23:38
ウーーン こんな撮り方もあるんですね~~
艦長さんの作品は「設定間違い」なんていわれてみても
 いいじゃん! ユニーク撮影かと・・・

私の知人の父親が「震災なんてまだまし 被爆の時は政府も他県の人も何もなかった・・・何な分からなかったんだから・・・」と呟かれたのが
今でも耳に残っています 8月になるととても落ち込んでしまいます
Commented by captain_spoc at 2010-08-11 00:03
☆nextday55さんこんばんは^^
ウーーーンと感心されても間違いは間違い^^ゞ
トンボばかり撮っていたので測光方式をスポット測光にしたまま
多分これが原因で露光オーバーになったのだと思うのですが
結果オーライでいいじゃん^^

戦争はまさに狂気の沙汰です
甲子園の高校野球のサイレンにも反応してしまいます
戦争を知らない人は当時を忘れないためにも良いじゃないかと言うが
思い出したくない人には音を変えて欲しいと思っているはずです
Commented by kisyusumaile at 2010-08-11 19:57 x
長崎の被爆体験、大変重く、心を締め付ける思いで読ませていただきました。日本人が世界唯一の被爆国であり、その悲惨さを誰よりも知っており、語る資格、否、語る使命を持っています。被害者意識が強すぎる等という的外れな論理に振り回されてはならないと思います。
核兵器はその使用によって人類が破滅する最終兵器であり、廃絶以外に人類の将来はないことは明々白々です。
私が師匠と仰ぐ先生が今年2月に長崎新聞に寄稿しています。
被爆65年、何故2発目が必要だったのか、問い続けてきた長崎の方々の心情を踏まえて、次のように書いています。
「1度でなく2度という事実自体が、『原爆の使用は必要悪である。戦争終結のためにやむを得なかった』との主張を打ち砕いている。核兵器は『必要悪』ではなく『絶対悪』である」と。
今や、核抑止の戦略は存在理由を失いつつあると思います。
スポック艦長をはじめ、民衆の真実の声をさらに広げ、諦めずに「核兵器のない世紀」を目指したいものです。エールを送り続けます。
スポック艦長に共鳴する人が一人でも増えるよう願っています。
Commented by スポック艦長 at 2010-08-11 23:55 x
☆kisyusumaileさんコメントありがとう御座います
まさに言われて見れば2発も落とす必要があったのでしょうか
それは広島と長崎の爆弾が違う形だった事
長崎はプルトニウム爆弾、広島はウラン型爆弾
それぞれの実戦テストの意味があったのでしょう
ひどい話です
核実験も含めて絶対使用を認めてはいけないと思います
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